1967年4月、出雲市古志町生まれ
出雲市立今市小学校、出雲第一中学校、島根県立出雲高等学校卒業
明治学院大学国際学部(秋月望ゼミ)卒業
1991~93年、中国留学(北京師範学院で漢語を習得後、中央民族大学大学院民族語言三系で戴慶厦教授の下、少数民族二言語教育を調査研究)
横浜市立大学大学院国際文化研究科修士課程(毛里和子ゼミ)、一橋大学大学院社会学研究科博士課程(田中宏、田中克彦、関啓子ゼミ)修了
在日韓国人問題研究所(RAIK)、IMADR(国連NGO)、移住連(SMJ)などでの勤務・活動を通じて国内外のマイノリティ、移民研究に携わる
2000年10月から福岡県立大学人間社会学部教員
2008年度、SanFrancisco State University, College of Ethnic StudiesにVisiting Scholarとして在籍、米国S.F. Bay Areaに1年間滞在
For more info. researchmap(科学技術振興機構 研究者情報)岡本雅享
左: オアフ島の海岸を巡る(米国ハワイ州、マカプウ海岸にて)2009年3月:沖縄のウタキに似たハワイ人が祭るヘイアウや、日系移民がもたらした地蔵信仰が現地化した石仏が立つ。
右: 国連人権理事会ブスタマンテ特別報告者と(国連広報センター記者会見後)2010年3月
このウェブサイトでは、私が2005年頃から、自分の根を再認識すべく (それを見つめることなく、中国の少数民族や欧米、日本のマイノリティ、 国連のマイノリティ権利保障規準作成などに携わってきた反省をこめて)始めた出雲学と、 関連する地域学を紹介しています。自分の根を知り、それと世界の繋がりを見通すことができてこそ、 グローバルな社会でも信頼される発信ができる―国際社会に憧れ、出雲を離れてから20年、 それなりに国際社会の中に身を置いて、ようやく気づいたことです。「 日本人のお前がなぜ中国の少数民族やアメリカのマイノリティの研究をするのか?」 ―そうした疑念のまなざしも、自分の根=立ち位置を示すことで、信頼や共感に変わり得ることを、その後の10年で体験してきました。 郷土研究を低く位置づけようとする人がいますが、たとえば郷土と郷土の歴史を、時には国境をも越えて結びつけてみると、 これまで中央(国家)の視点で描かれてきた歴史とはずいぶん違った多様な歴史が浮かび上がります。 出雲人であり、日本人であり、東アジア人であるというアイデンティティを持ちながら、出雲を知り、出雲から世界を見渡し、 グローバルな社会にも通用し得る発信をするーそれが私の目指している、 日本型Ethnic Studiesの一つとしての、出雲学です(2016年12月吉日 ウェブサイト開設にあたって 岡本雅享)。
雲出ヅル国=出雲で生まれ育った私は、幼少の頃から、刻々と形を変える様々な雲を、不思議な気持ちで眺めていました。中高生の頃は、晴天の日に斐伊川土手の斜面に寝転んで、何も妨げるもののない青い空にうかぶ白い雲を、よく眺めていました。そうすると、日常のイザコザや、そんなことにイライラしている自分がとても小さなものに思えてきて、ジメジメした心も、ふわっと、からっと大きく、さわやかになるので、私は「心のふとん干し」と名づけていました。「さりげなき 日々はむなしく 今はただ 空高くゆく 雲をながめて」ー受験戦争に疑問を抱きながら、広い世界への憧れを胸に抱いていた出雲高校時代に詠んだこの歌も、斐伊川土手に寝転がって雲を眺めているとき、ふと浮かんだ歌でした。とても美しい、様々な形を織り成す出雲の空を、サイト名にしました。私が中学生の頃から作品用に愛用しているメカニカル・シャッターの一眼レフ、PENTAX LXと、職人気質な色彩を出すコダックのスライドフィルムで撮った、八雲の空とそれを映し出す水面の写真を、トップに置いています。
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〒825-8585 福岡県田川市伊田4395 福岡県立大学人間社会学部
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混合民族論が主流だった日本で、戦後単一民族論が拡がったのはなぜか。大和中心のNation Building(民族意識や国民の形成)を出雲、エミシ、クマソなどの視点から捉え直し、同質社会論で覆い隠された日本人内部の多様性を解き明かしながら、多元国家観に基づく民族意識の再構築を説く。