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越境する出雲学 
試し読み「序章 全国“出雲”再発見の旅①」

▼P.11-14

1.出雲の中の古志―古代北陸からの移住を刻む地名

(1)北陸の大国

私は出雲市の古志〔こし〕町で生まれ、4歳までそこで過ごした。出雲西部の二大河川の一つ、神戸(神門)川〔かんどがわ〕のすぐ近くに住んでいて、 土手(堤)で遊んでいる写真などが残っている。

神門川にかかる古志大橋
神戸川にかかる古志大橋(出雲市古志町)

4歳で出雲市役所のある今市町に移り、しばらく古志のことは忘れていたが、 小学生の頃、松江市内へ外祖父を見舞いに行く時、松江駅から乗り換えたバスが古志原行き。久しぶりに見る古志の名に、惹きつけられたのを覚えている。
 この古志という地名、長らく「古い志」の意味かと思っていたが、実は当て字で、時代の早い順に高志―古志―越〔こし〕と 表記を変えた国の名だった。越前・越中・越後の越といえば、読者の皆さんには分かりやすいだろうか。 今は福井・石川・富山・新潟県に分かれる北陸地方全域が一体だった、日本海沿岸に大きく横たわる、古代の国である。
 鉄道を使えば、大阪や東京を経由して行かねばならない、遠い地。 そんな遥か離れた地の、しかも古代の国の名が、なぜ出雲の中の地名になっているのか。 その謎の答えは、約1300年前の天平5(733)年に完成した『出雲国風土記』の中にあった。神門郡古志郷の条に、こう記されている。
 「日淵〔ひふち〕川を以て池を築造〔つく〕りたまひき……時、古志の国人ら来到りて、堤をつくり、やがて宿居れりし所なり、故、古志と云ふ」。
 日淵川の水を用いて池を造った時、古志の国の人たちが来て堤防をつくり、そのまま住み着いた所だというのだ。
 長らく国際社会に目が向き、あまり故郷を顧みなかった私が、初めて自分のルーツに正面から向き合おうとした時 、最初に巡った『出雲国風土記』ゆかりの地が、この古志町である。古志の国の人たちが造った池はどこか、今もあるのか―そんなことを考えながら巡るうち、 出雲へ移住してきた古志人たちの故郷への関心が高まった。そして翌(2007)年の晩秋、私はその本場・古志の国=福井・石川・富山・新潟県を訪れたのである。
 現住地の福岡から小松空港に入り、バスや鉄道で越前岬―金沢―七尾―富山―糸魚川―出雲崎と古志(越)の沿岸地域を移動し、新潟空港から戻る5泊6日の旅。 それが、2011年春に始まる山陰中央新報の連載「出雲を原郷とする人たち」につながっていく。現地を旅することで、本で知って訪れた新潟県出雲崎町の他にも、 同県の妙高市小出雲や石川県金沢市出雲町など、北陸地方には出雲地名がいくつもあることが、見えてきたからだ。

(2)地名で辿る移住・文化史

 出雲の中の古志が、古志国から移ってきた人が住み着いた地ならば、古志(越)の中の出雲もまた、出雲から移った人たちが住んだ地ではないのか。 その閃きを確信に変えたのは、エスニック・スタディーズ(民族学)を本場で学ぶべく、初めて渡った米国での見聞だった。2008年度、サンフランシスコ州立大学民族学部(College of Ethnic Studies)に1年間在籍しながら、私が住んだ湾岸地域(San Francisco Bay Area)には、サンノゼ(San Jose)やエンバルカデロ(Embarcadero)といったスペイン語地名が多かった。この地域に最初に入植したスペイン人たちが名づけたからである。地名に住民の来歴を刻むのは、洋の東西にかかわらぬ、人の性なのだ。
 サンフランシスコ仏教会(Buddhist Church of San Francisco)や出雲大社ハワイ分院(Izumo Taishakyo Mission of Hawaii)など、米国には日系人建立の寺社も多い。人と共に、神仏も移動するのだ。ということは、 列島各地にある古い出雲系神社も、出雲を原郷とし、あるいはルーツとする人々が建てたものではないか。 その形跡を見つけ出し、つなげていけば、出雲からの人の移動や信仰・文化の伝播ルートが浮かび上がるのではないか?
 日本に帰国後、私はその形跡を求めて列島各地の「出雲」を訪れ、文献調査、フィールドワーク、関係者との面談を重ねることになる。 5年にわたる新聞連載で巡り歩いた地域(旧国)は、西は壱岐、筑前国から東は越後、岩代、武蔵国にわたる日本列島の22か国と朝鮮半島の新羅国に及んだ。 各地でお世話になった神社関係者、郷土史家、考古学、民俗、歴史、地理学者は、延べ500人を超える。本や地図を見ても辿り着けない伝説の地などへ案内下さった、 地域の歴史や文化を大事に思う人々と、たくさん交われたことは、私にとって大きな財産となった。
 調査研究にあたっては、従来専門としてきた民族・移民研究の手法、特に中国留学中に行った少数民族地域をめぐる現地調査を応用した。 それらを自分のルーツに用いることなど、以前は思いもしなかったから、不思議なめぐりあわせだ。 その結果、従来、多くが歴史学者や民俗学者の手によってきたこの分野に、これまでにない社会学的な視点と切り口で迫ることができた。「出雲を原郷とする人たち」が「異色の移住・文化史」と評される所以だ。
 『山陰中央新報』に5年間寄稿し続けた、この全104回の連載を同名の単行本にした際、本文は新聞連載時のスタイルを踏襲した。そのため、どこからでも1回読み切りが可能な形を活かせた半面、全体の流れや、1冊を通して導き出されるものが捉えにくいという読者の声もあった。本書は、そうした声にも応える形で、列島各地に「出雲」がある理由と、それらをつなげて見えてくるものとを、系統立てて説いてみたいと思う。