ホーム > 著書 > 出雲を原郷とする人たち > 書評 > 福井新聞 2017年1月18日 伊与登志雄 「海の道」通した移住史、出雲文化の広がり解明

福井新聞 2017年1月18日
「海の道」通した移住史 出雲文化の広がり解明 越前海岸沿いも調査

伊与登志雄

 

 列島各地に残る出雲という地名や神社を手掛かりに、出雲の人たちの移住の足跡を訪ねた著書「出雲を原郷とする人たち」を、福岡県立大の岡本雅享准教授が出版した。越前国をはじめ、「海の道」を通した出雲文化の広がりを浮かび上がらせている。

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赤貝(サルボウガイ)採りに使われていた中海のソリコ舟(1963年、松江市大海崎町で伊藤栄一さん撮影)

 岡本さんは島根県出雲市古志町の出身。「出雲国風土記」によると、古志(越)の国から人が来て、堤をつくり住み着いたとする地だ。その逆に、越などにも出雲から移り住んだ人たちがいるのではと考え、取材を開始した。

 その範囲は福井、石川、富山から長野、香川、山口、福岡、長崎県など広範囲に及ぶ。専門の民族・移民研究を生かし、現地でさまざまな人や文献に接しで情報を収集。5年近くに及ぶ地方紙への連載に加筆し、単行本化した。

 福井県では、「そり子」と呼ばれた越前海岸の漁民の集落(清水谷、白浜、城ケ谷、糠)を訪ねた。舳先が長く反った出雲独特のくり船「ソリコ」が漂着し、中世から近世に移住者が住みついたとする伝承や文書が残る。調査を通して、越前のそり子は、さまざまな浦から何度か渡来した状況がみえてきた。

 また、「出雲」と書かれた9世紀前半の墨書土器が越前町で見つかり、弥生時代の小羽山30号墓(福井市)が出雲を代表する四隅突出型墳丘墓・西谷3号墓と類似するなど、古代における出雲と越の交流も紹介している。

 岡本さんは、出雲はその地形や位置から「東西航路の交流点だった」と指摘。大和文化が畿内を中心に放射線状に広がったのに対し、出雲文化は海流の道に沿って人が移動し、伝播したとみる。その足跡を丹念に追った本書は、大和の政治的統合とは別に、先人たちの壮大な文化交流があったことを気付かせてくれる。岡本さんは「昔からあった出雲との縁を、もう一度結び直すきっかけになればうれしい」と話している。

 

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