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藤原書店 月刊『機』No.296(2016年11月)『出雲を原郷とする人たち』刊行に寄せて
海の道のフロンティア

岡本雅享

 

 私は2010年に、海でつながる多元的な世界(観)を、その拠点の一つ、出雲の視点から説いた論文「島国観再考」を発表した。その拙稿から派生したのが、2011年春から今年の初めにかけ、『山陰中央新報』で全104回にわたって連載した「出雲を原郷とする人たち」である。今年の春には、『新潟日報』からの依頼で、『山陰中央新報』の越後佐渡編を中心に、新潟の読者向けに書き下ろした連載「越佐と出雲」全7回を同紙で連載した。本書はそれらを1冊にまとめたものである。

 

地名に刻まれた移住者のルーツ

石川県志賀町の出雲集落
石川県志賀町の出雲集落:地名由来は、古代出雲国の住民が海を渡り、福野潟を越えて、この地に居を定めたためと伝わる。鎮守の出雲神社も、当地の開祖が「出雲の地よりこの地に来り部落を出雲と名付け、出雲神社を創祀せり」と伝わる。

 私が生まれた出雲市古志町は、733年の『出雲国風土記』が「古志(=越)の国人ら来到りて、堤をつくり、やがて宿居れりし所なり、故、古志と云ふ」と記す旧神門郡古志郷の地だ。ならば、その越(越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡)の中の出雲―金沢市出雲町や新潟県出雲崎町など―も、出雲から移り住んだ人たちの地ではないか。2006年、生まれ育った出雲を、風土記ゆかりの地を辿りながら巡っている時、ふと閃いたことだ。

 その後1年間滞在した米国西海岸にも、サンノゼやエンバルカデロといったスペイン語地名が多かった。移住者たちが自らのルーツを地名に刻むのは、洋の東西、同じらしい。米国には日系人建立の寺社も多い。人と共に、神仏も移動するのだ。希望と不安を抱えた新天地で、人々は故郷の神が自分たちを見守ってくれると信じたかったのだろう。

 出雲という地名や出雲神社は、越だけでなく、列島各地にある。それは出雲を原郷とし、あるいは経由した人々による移住の足跡ではないか。私はその足跡を追って福井、石川、富山、新潟、福島、長野、埼玉、群馬、愛媛、香川、広島、福岡、長崎、山口、奈良、京都、兵庫ヘと、何度も足を運んだ。

 

海の道のフロンティア、出雲

周防国佐波群式内出雲神社の神名石(山口市徳地):境内に「太古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮齎したもの」との由緒書(表札)が立つ。
周防国佐波群式内出雲神社の神名石(山口市徳地):境内に「太古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮齎したもの」との由緒書(表札)が立つ。

 これまで様々な識者が、出雲世界の広がりを論じてきた。例えば歴史学者の水野祐早稲田大学名誉教授は、遺跡や出雲伝説、出雲系神社の分布をあわせ見ると、百済から瀬戸内海をへて大和へ入った文化とは別に、新羅から日本海をへて出雲に入った文化があり、それはさらに海路で能登から越へ伝播し、信州・北関東へ南下していくと説いた。5年近くに及ぶ新聞連載は、現地を巡って、それを確かめる旅でもあった。

 島根半島は縄文時代、大きな島で、今、出雲平野となっている地域は、本島との間の海峡(水道)だった。波静かな海峡の両岸は、舟を休めるのに格好の場所で、朝鮮半島東南部や九州北部を出航し本州北岸を航海する人々が流れ着き、巡留し、住み着き、あるいは旅立っていっただろう。私が生まれた古志の地名由来、また今住む福岡の博多湾沿岸で山陰系土器が多く出土していることは、越から出雲、出雲から筑紫へ、移住した人々もいたことを物語る。東西航路の交流点―それが古代、人々が早くから出雲に住みつき、また出雲文化が、海の道を通じて拡がっていったゆえんではないか。その意味で、出雲は日本列島における海の道の一つのフロンティアだったといえよう。

 

海流が文化伝播の大動脈

出雲山多聞寺rs.jpg
新潟県出雲崎町の最古刹といわれる出雲山多聞寺:創建の際、出雲国から流れ着いた榊を棟木として本堂を建てたと伝わる。jpg

 大和文化が畿内を中心とし放射線状に拡がったと言われてきたのと比べれば、出雲文化は海流の道に沿った一定の方向へ、顕著に伸びている。それは政治的統合による大和世界の広がりよりも古くからある、出雲を原郷とする人たちの移住がもたらしたものだろう。出雲が多くの人々を惹きつける一因に、そうした潜往的なルーツヘの記億があるのではないか。

 最近、『新潟日報』で私の連載記事を読んだという出雲崎の人が、出雲市の日御碕神社へ訪ねて来られたと伺った。出雲とゆかりのある地との、忘れられかけた、途絶えかけた縁を結びなおすことを願ってこの仕事に取り組んできた私には、何より嬉しいニュースだ。

 

藤原書店『機』 No.296より(PDF)