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ヒューマンライツ 323(2015年2月)号 
人権のための歴史学習

武者小路公秀(元国連大学副学長)

 日本列島では、いま人権を巡って嵐が吹き荒れている。在日コリアンに対するヘイトスピーチも、人権より国権を重視する憲法改悪も、日本列島での歴史の流れについての誤った偏狭な「民族」主義が、学校教育とマスメディアによって特に若い日本市民の考え方を方向付けている結果であるといえよう。日本では、すでに部落解放運動が、被差別部落の歴史的な研究に力を入れてきた。人権は、ただ人権法の問題、差別意識の倫理的な誤りを正すだけでは不十分である。歴史が大和民族中心に作られているという人権の基礎にある事実認識をただす必要がある。

京都府宇治市の在日韓国・朝鮮人集住地域、ウトロ地区を視察する国連人種差別に関する特別報告者ドゥドゥ・ディエン(Doudou Diene)氏:2005年7月、IMADR提供
京都府宇治市の在日韓国・朝鮮人集住地域、ウトロ地区を視察する国連人種差別に関する特別報告者ドゥドゥ・ディエン(Doudou Diene)氏:2005年7月、IMADR提供

 そのことをわれわれに国際的な観点で指摘したのが、国連の人権問題に関する特別報告者ドゥドゥ・ディエンの「日本における人種主義」についての報告である。この報告は「現代の人種主義問題」が、「均質」な「日本民族」を創出するための「格差」社会の形成に根差していることを、歴史的にふりかえる内容をもっていた。日本の鎖国政策を、下支えする江戸時代からの部落差別に加えて、明治の近代日本が植民地侵略をしていった軌跡にそって、ディエン報告は、アイヌ先住民族差別、琉球王国併合に伴う沖縄人差別、韓国併合に端を発する在日コリアン差別、中国侵略に伴う在日中国系市民の差別、敗戦後の日本の経済圏拡大の結果、日本に移住した「ニューカマー」移住者差別などについて順を追って報告し、単一民族意識と排他性が、日本の人種主義の根であることを指摘している(しかし、この排他性がどうしてこんな形ではびこっているのかは説明していない)。

 著者の『民族の創出』は、前記のドゥドゥ・ディエン報告書で指摘されている排他的な民族意識がどんな形で「創出」されたのかを分析している点で、ディエン報告書と補完的な歴史分析の書といえる(著者は、まったくそのことに触れていないので、書評執筆者として、蛇足を加えることで、本書の歴史的な意味を強調したい)。記紀神話を用いて創り出された大和民族中心の国民意識を、非ヤマト―出雲、エミシ、クマソの視点から捉え直そうとする本書各章の題を列挙しでみよう。第1章「出雲からみた民族の創出」、第2章「言語不通の列島から単一言語発言への軌跡」、第3章「二人の現津神―出雲からみた天皇制」、第4章「創られた建国神話と民族意識」、第5章「島国観再考」、第六章「アテルイ復権の軌跡とエミシ意識の覚醒」、第7章「クマソ復権運動と南九州人のアイデンティティ」、第8章「新たな民族の誕生―池間民族に関する考察」。終章は「同質社会幻想からの脱却と多元社会観の構築」という構成である。

 「排他主義」「人種主義」の権化になってしまった「日本民族」がどのようにつくられてきたのか。そのことで日本列島に住む人々がもともと持っていた「多様性」がどのようにして隠されたのか。それを出雲人の著者が多面的な歴史分析と現状分析を通して解き明かし、「日本人」内部の多様性をもって、排外主義の源にある同質社会幻想を解体・再構築しようとしている。日本列島をヘイトクライムや憲法改悪という人権無視の暗夜状態に陥らせた人種主義的な民族主義を理解したい人々に、一読を薦めたい。エミシ(東北)やクマソ(南九州)の末裔たちが固有のアイデンティティに目覚めてきている現状を分析している点でも、本書は人権に関心を寄せる本誌読者の必読の書である。

 

掲載誌より

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