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朝日新聞 2017年2月5日
全国の分布 執念の取材で解明

原武史(放送大学教授・政治思想史)

 

 東京の明治神宮には、正月三が日だけで300万人あまりが訪れる。しかし祭神が明治天皇と昭憲皇太后であり、大正時代に建てられた新しい神社だと知っている参詣者は多くないだろう。明治神宮は、アマテラスをまつる伊勢神宮を頂点とする国家神道が確立されるなかで、天皇を祭神とする伊勢系の神社の一つとしてつくられたのだ。

 だが、東京が属する武蔵国で最も古いとされる神社は、埼玉県大宮にある氷川神社である。氷川神社は出雲系の神であるスサノヲやオオクニヌシなどを祭神とし、埼玉県と東京都を中心に284社もある。加えて埼玉県には、「出雲」の名の付く神社や出雲系とされる横穴墓まである。それはかつて出雲の氏族が武蔵国へと大量に移動したことを暗示している。

 武蔵国だけではない。本書は、北は東北から南は九州にかけて、出雲系の神社や地名、伝説が分布していることを、度重なる取材を通して明らかにする。例えば筑前国のように、朝鮮半島に出兵したとされる神功皇后にちなむ神社や地名、伝説が濃密に残っている地域もあるので、出雲だけを特権化して語ることには注意が必要にせよ、かつて出雲の氏族が全国的に住み、独自の文化を築いていたのではないかという想像をかき立てられる。

 そこからこう考えたくなる。明治政府は、神武天皇を初代天皇として押し出すことで神功皇后を封じようとしたように、「伊勢」を押し出すことで「出雲」を封じようとしたのではなかったか。そして戦後は、明治から敗戦までの神道がすべて国家神道として批判の対象になったために、「出雲」も忘却されてしまったのではないか―。

 柳田國男をはじめとする民俗学者も、本書で記されたような神道と民俗学の接点に当たる問題を正面から論じようとはしなかった。出雲出身の著者の執念が、初めてこの空白に大きな光を当てたのである。