下地昭五郎(平良字西里)
このだび「民族の諸相」に関する書籍が上梓された。書名は「民族の創出―まつろわぬ人々、隠された多様性」である。著者は岡本雅享(社会学博士・現在、福岡県立大学人間社会学部准教授)である。記紀神話にその淵源(えんげん)を求めた『大和民族』の概念が正統化に至る歴史的虚構の剔抉(えっけつ)はスリリングである。
本書は8章と終章から成る。第1章「出雲から見た民族の創出」。第2章「言語不通の列島から単一言語発言への軌跡」。第3章「二人の現津神―出雲から見た天皇制」。第4章「創られた建国神話と民族意識―記紀と出雲神話の矛盾」。第5章「島国観再考―内なる多文化社会論構築のために」。第6章「アテルイ復権の軌跡とエミシ意識の覚醒」。第7章「クマソ復権運動と南九州人のアイデンティティ」。第8章「新たな民族の誕生―池間民族に関する考察」。終章「同質社会幻想からの脱却と多元社会観の構築」である。
いずれの章も魅力的なテーマで、著者の徹底した調査と多くの研究者の論考をも開陳し、客観性豊かな論構成となっている。また、著者の鋭い歴史的慧眼(けいがん)に裏打ちされた論述はまさに『民族』関係研究論文の白眉であり刮目(かつもく)に値する。特に、第8章の「池間民族」に関する論考は宮古人の一人として再考を促される。小生は、宮古島でひとり池間島だけが「民族」を冠するのはなぜか、疑問だった。つまり池間民族は近代国民国家を形成する民族の条件を満たしているのかという素朴な疑問である。
しかし、著者は提唱する。「大和民族も、出雲民族も、近代国家形成における国民意識醸成の過程で生まれたものであった。そうした中、池間民族という民族概念が、ネイションステイト(民族国家)のしがらみと無縁な所で、池間人自らの手によって形成されつつある過程は、多元社会観に基づくネイションビルディングの再構築にとって、先進的役割を果たす可能性をもっている。池間民族意識は、『われわれ意識』の発露であり、『自分は何者か』というアイデンティティの源になっている」「池間民族という自意識は、個人のアイデンティティ確立に、ポジティブな意味を果たしていることは間違いなく、周囲はそのアイデンティティを尊重し、肯定的に見守るべきだ」と。むべなるかな。時宜を得た名著である。特に宮古人にとって必読の書である。