岡部一明(元愛知東邦大学教授・アジア研究)
日本社会の多民族・多文化性を追求した書だ。そう言うと、在日韓国・朝鮮人、中国人、アイヌ民族などのことと思うかも知れない。そうではない。これまで「日本」の中に隠されていた蝦夷(以下エミシ、東北)、熊襲(以下クマソ、南九州)、出雲など内なる多元的性を掘り起こしている。最近、スコットランドが英国からの独立を問う住民投票を行い、人々を驚かせたが、同じような民族的多様性が、(沖縄だけでなく)「日本」内部に存在することを示そうとした。例えば、著者・岡本は出雲出身だが、祖母の話す言葉がよく理解できなかった。独自の言語、宗教を今に残す故郷の考察が探求の出発点になった。
古事記・日本書記(記紀)の出雲関連叙述は全体の3~4割に及ぶ。「国譲り」など物語の多くは、同時期編纂の出雲国風土記と食い違い、大和の出雲支配正当化の痕跡が残る。出雲の王は大和政権下の「国造」となるが、祭祀的な権威を保ち出雲大社の祭王として現在まで存続。天皇家を上回る万世一系性をもつ。記紀で国民統合を図った明治政府は、出雲の権威を抑圧し、天皇中心の国家建設に進む。
記紀神話唱導は皮肉にも、「出雲民族」の覚醒を生む。明治後期に始まり、大正期の出雲民族社による月刊『出雲民族』、昭和初期の『島根評論』などを通じた多様な思潮を岡本は追う。大正期編纂の『島根県史』では、県内務部長が日本の民族要素を二派とし、出雲族海神族は皇室系の「天津天孫族よりも早く此国土に渡来し土着した」と記す。
大和が朝鮮半島西部の百済とつながったのに対し、出雲は、日本海航路を通じ半島東部の新羅とつながっていた。北陸などとも連なり、海上交通による「海人文化」を育む。
記紀には出雲以外にもエミシ、クマソなど「まつろわぬ人々」の足跡が記されている。近年、これら地域から、負の烙印を押されたアイデンティティを復権させる動きが出ている。桓武天皇の送った5万の大軍を破ったエミシの英雄アテルイの戦い(789年)を掘り起こし、そこから東北のアイデンティティを取り戻そうとする思潮を示す。同じく「叛乱」とその「征伐」を記されたクマソの地でも復権運動が起こる。
著者は、多元性の根拠を膨大な資料で読者に提示する。「まとまっている日本を、何もわざわざ分解しなくても…」との反発もあろうが、それを岡本の論点や資料とつき合わせる作業を勧める。例えば外延を征伐した古代朝廷軍は、戦闘に通訳を随行させた。明治初期まで日本は「言語不通」の列島で、地方間の人々の会話は文語や筆談の助けを要した。明治の標準語選択時には、当初有力だった天皇の母語・京言葉を凌駕し、明治官僚の多く住む東京山手の言葉が採用。教育を通じ全国に強制された。
近代に「民族」の概念が生まれ、民族国家が統治の体制として世界を覆う。その中で、経済・社会・文化的に周辺、マイノリティーに追いやられる人々の苦悩を本書はよく掘り起こしている。東北・旧気仙郡地域の言語「ケセン語」復権を目指す山浦玄嗣は「私のケセン風の日本語を、面とむかって満座の者がどっと笑う」ケセンでは非礼となる振舞いを日本社会で受ける体験を記す。岡本も「中央に出て出雲訛りを笑われ、職場をやめて悄然と故郷に帰ってきた若者は少なくない」など出雲人たちの証言を丹念に掘り起こす。
著者は結論として「多様な列島社会の、それぞれに誇り得る郷里の連合体としての多元国家・日本が、本来の意味での島国性(流動的で、他者に寛容)を取り戻すこと」を提示し、多様性により発展する今後の世界を展望する。
スコットランドやカルターニャなど、民族国家の祖地ヨーロッパで興味深い実験が進んでいる。欧州共同体に統合しながら、内的に地域的自治が強まる。多様な文化の強化でより高い統合が生まれる新しい原理を今世界は切実に欲していないか。本書はその課題を、他ならぬ「日本」内部に追求した貴重な書だ。