各地にある〈出雲〉ゆかりの地名や神社は、出雲から移り住んだ人々の足跡ではないか―。福岡県立大准教授の岡本雅享さんが、そんな思いに駆られ、全国を訪ね歩いた「出雲を原郷とする人たち」(藤原書店)が話題を呼んでいる。福岡県在住だが、生まれも育ちも島根県出雲市。悠久の歴史をさかのぼり、先人が来た道をたどったユニークな旅の記録であり、歴史書である。「信濃国」にも1章が割かれ、信州人にとっても興味深い内容だ。岡本さんに執筆の動機や背景を聞いた。
ゆかりの地名や神社をヒントに移動検証
「古代史では、出雲人が日本海を介して新羅や能登、筑紫とも盛んに交流していたことが知られている。こうした研究に触発され、10年ほどかけて現場を歩き、出雲人の移動の道筋を検証した」と、岡本さんは振り返る。
九州から東北、韓国にも足を延ばし、時代も古代だけでなく、中近世から近代までカバーした。「現地の方の話を聞き、地形を自分の目で確かめて地図に落とし、文献史料や考古学的な遺跡、伝承も参考にした」
取材の成果は、2011年から昨年まで山陰中央新報に104回連載、これを基にまとめたのが本書だ。地名や祭神が数多く登場するが、写真と地図が理解を助けてくれる。ルポ調の軽快な文章と厳密な研究者の目で、出雲人のダイナミックな移動に迫った。
武蔵へ「信濃川ルート」浮上
「長野県との関連では、出雲から対馬海流に乗って能登半島、越後にたどり着く海の道が重要だ。古代史研究者はそこから陸路を経て武蔵へと向かったと言うが、具体的な道筋がはっきりしなかった」と、岡本さんは指摘する。
古事記で、出雲を追われ諏訪にたどり着いたとされる諏訪大社の祭神タケミナカタが思い浮かぶが、本書には諏訪に至るルートは示されていない。「文献調査に加え、姫川・千国街道沿いを2度、たどってみたが、十分な裏付けと確信がつかめなかった」
代わりに浮かび上がったのは、現在の新潟県を経て信濃川沿いに上流へとさかのぼり、飯山、長野、千曲、上田市方面に通じるルート。本書の「越後・佐渡国」「信濃国」の章には、「出雲」「伊豆毛」といった地名やミホススミなど出雲国風土記固有の神を祭る神社、外来系土器の出土状況をたどることで、鳥居・碓氷峠を越えて北関東に至る移動経路が描かれている。間接的ながら諏訪信仰の研究にも一石を投じた格好だ。
岡本さんは、出雲高校卒業後、明治学院大国際学部に入り、在日コリアンや欧米の移民などマイノリティーの調査や研究に打ち込んだ。1991年から中国に留学し民族教育を研究、その後、国連人権NGOに勤め、マイノリティーの権利保障の国際基準づくりなどに携わった。「若い頃は、目は東京や国際社会に向いていた」と言う。
だが、九州に移り住んで視点が変わり、2005年秋、出雲に帰省中に立ち寄った書店で目にした原武史さん(現在・放送大教授)の「〈出雲〉という思想」(講談社学術文庫)に衝撃を受ける。帯に「出雲はなぜ抹殺されたのか」とあった。明治になって出雲派と伊勢派が神学上の論争(祭神論争)を繰り広げ、最終的に政府が出雲派を排除した事件を思想史的に掘り下げ、戦前の国家神道の虚構をえぐる内容だった。
「足元のことを全く知らなかったことに気付かされた」と岡本さん。以来、出雲を軸に、東北のエミシ、九州のクマソやハヤトなど「まつろわぬ(従わない)民」の歴史・文化の視点から、「単一民族観」を内側から崩し再構築する作業に取り組み、「民族の創出」(岩波書店)にまとめた。
「次は、明治の初めまで天皇と並ぶ“生き神”で、祭神論争で論陣を張った第80代出雲国造(こくそう)・千家尊福(せんげたかとみ)の伝記をまとめたい」と抱負を語る。故郷・出雲への岡本さんの旅は、これからも続きそうだ。