今年1月まで4年9カ月、計104回に及ぶ本紙への連載が書籍化された。写真や図面が追加され、理解しやすく充実した内容になった。
考古学においては弥生時代後期のいわゆる山陰系土器が、日本海側の北陸から北部九州一帯はもちろん、瀬戸内や東海、関東などの各地方で出土しており、出雲系文化の広範な分布は広く知られている。
現在、福岡県立大で教壇に立つ著者は、出雲市古志町出身。彼は「出雲」の名が残る地に足を運び、どのようにして出雲との交流の歴史が生まれ、それが現代まで引き継がれ、当地の人は出雲との関わりがあることをどう思っているのか、詳細に聞き取りを行った。調査行は2度、3度に及ぶ。現地の人から祭礼などに誘いを受け、同行調査も行っている。こうした著者の取材力、行動力は驚くべきものがある。
例えば、福島県の会津地方。盆地の一角に四隅突出型周溝墓が発見され山陰系や北陸系の土器が出土している。周辺には「出雲」と関わりの深い神社が数カ所確認されている。こうした弥生時代以降の文化の流れを、著者は新潟県の阿賀野川流域沿いにたどることによって確認している。
訪れた場所は、旧国名でいえば21カ国。九州(北部)、北陸、関東甲信越、東北、中国、四国、近畿と、ほぼ国内全地域になる。それらの地方で情報提供を受けた方々への御礼状は500通を超すという。
全国に広がる出雲系の文化は、「出雲人」が日本海を仲立ちに、沿岸部からさらに内陸部へと拡張した紛れもない証しであった。弥生時代以降、全国的に「出雲人」がこれだけ拡散していったそのエネルギーの源は何なのか。船の機能が十分でない時代にあって、日本海を乗り越えていくのは並大抵ではないが、かつての「出雲人」にはそれだけの活力があり、フロンティア精神に満ちた「出雲人」の姿が浮かびあがってくる。
「出雲人」が「出雲人」を考えるのに必読書のように、思えてくる。