自粛警察や人の目を気にしたマスクの着用など、コロナ禍で顕在化した同調圧力。その根底には、日本が島国で鎖国もしてきたことによる閉鎖性と、外国ルーツの人々が少ない同質性があると書籍「同調圧力の正体」などはいう。
移民受け入れや多文化共生を巡っても、よく聞く話だ。昨年9月のふくおか自由学校「私は『チョゴリ』を着たい~この社会の息苦しさを越えて」で、講師の朱鮮美(チュ・ソンミ)さんは、自分らしくあるために民族衣装を着る―それが危険な行為で相当な覚悟がいる日本社会の現状を語った。そんな排他性の原因にも、島国に由来する同質社会性が挙げられてきた。日本は周囲を海で隔てられた島国で、古来孤立してきたため均質・単一な民族となり、独自の文化を育む半面、閉鎖的になったとの認識だ。
だが歴史学者の網野善彦は、古来この列島では海や河川の交通が大動脈で、九州―対馬間の海は人を結び、対馬―朝鮮間では人を隔てるというのは、現国境に規定された俗説・虚構だとする。19世紀の学者による造語「鎖国」も、教科書から消えつつある。
近年の分子人類学では、日本列島の住民が本州・九州・四国でもDNA多様性が高く、アジア大陸や南洋、北方など多様なルーツの人々の複合体だと分かってきた。
1904年刊行の「対外日本歴史」では、皮膚の色や顔立ち、骨格などで大和、蝦夷(えみし)、熊襲(くまそ)、筑紫等の民族が識別できるとある。こうした混合民族論が、単一民族論に変わるのは高度経済成長期で、80年代半ばピークに達した。
周囲に合わせ、異質性を取り除く。この時期は、終身雇用や集団主義の日本的経営に適する画一・同調的な人材が求められた。80年代日本の繁栄をもたらしたその成功体験が、多様性が発展の鍵となる今の世界では足かせとなる。
マイノリティの権利を保障するだけでなく、マジョリティの意識変革も求めるのが多文化主義。私は中国研究の中でも、一世代で民族意識が醸成・定着する様を見てきた。
稲作・仏教の伝来や渡来人―開かれた島国が古来、列島発展の基底にある。同質・均質社会の幻想から脱し、同調と協調をはき違えず、本来の多様性を取り戻せば、移民の到来に戸惑うこともあるまい。多元社会の上に重なりゆく移民社会―それが日本的多文化主義のベースとなるべきだ。