(前略)
「単一」「混合」 変遷する民族意識
(中略)
歴史社会学者の小熊英二氏は、1995年の著書「単一民族神話の起源」で、明治から昭和の時代、日本人の自画像がどう移り変わったか、当時の言説をつぶさに分析した。
戦前は、人類学の見地から、日本人は太古からアジアの様々な民族が混じり合った、という学説が主流だったという。学校では、神話が教えられ、熊襲や蝦夷を、「大和民族」に同化された異民族として紹介する教科書もあつた。
1910年の日韓併合で、朝日新聞の天声人語は「日本民種が世界の雑種なることは人種学者の一致する処」と説いた。こうした「混合民族論」は、日本人がアジアの諸民族を統治するにふさわしい、という根拠に利用された。
敗戦で一転、朝鮮人や台湾人は、日本国籍を失った。日本は昔から、基本的に一つの民族が島国で平和に暮らしてきた、という「単一民族論」が現れる。小熊氏は「国際関係への自信の喪失や、戦争疲れの心理に合致した」と指摘する。
「同質」は高度経済成長期の会社を中心とした社会にマッチした。経済大国としての位を確立すると、政治家は「単一民族」を、日本の強みや特殊性として語るようになった。
(中略)
日本社会に根強い「移民」という言葉への抵抗には、「単一民族」へのこだわりがのぞく。
「同質という幻想につかり、自分自身の個性を大事にできない人は、他者の異なる個性も肯定できない」。こう語るのは、福岡県立大学の岡本雅享・准教授。出雲の出身だ。在日韓国人らの権利擁護に関わり、海外のマイノリティー政策を研究した。政治家の「単一民族」発言を調べるうちに、それが何民族を指すのか、示されていないのを奇妙に感じた。
「もしそれが『大和民族』というなら、出雲の自分は違う」。戦前に広まった「出雲民族」の言説をたどり、国や日本人を見つめ直している。「戦後の『単一民族』もそうだが、『民族』の意識は、思いのほか短期間でつくられる」。
江戸時代の出雲の地図を、岡本氏が見せてくれた。現代のものとは上下逆で、「裏日本」と呼ばれた地域は、日本海を通じて、新しい文化をもたらす大陸に開かれているように見えた。出雲には、朝鮮半島の新羅や北陸の越(こし)から土地を引っぱってきたという、記紀にない創世神話がある。
いま、街頭やメディアでさかんに「日本人」という言葉が唱えられ、一部で外国人排斥さえ露骨に叫ばれる。郷土や企業といった、かつてのよりどころを失った人々が、「日本人」の誇りにしがみつくことで安心感を得ようとしている、と岡本氏はみる。
日本列島に住む人々の4万年の歴史を1年に例えると、明治時代以降は、大みそかの1日だけにあたる。世界で人の移動が加速するなか、「日本人」がよりどころとして、守っていくものは何だろう。