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ちくま618号 2022年9月
越境する地域学のゆくえ

山下祐介(東京都立大学教授・社会学)

 弥生時代、北部九州で朝鮮半島経由による本格的な先進文化の受け入れがはじまった。この変化はやがて、その勢力の東遷によるのかどうなのか(ただし何らかの東遷がなければ辿り着かないが)、ともかくヤマトの地を中心とした統一国家の誕生につながっていく。
 それに対し、朝鮮半島との接続の中心地がもう一つ出雲にあった。海流からすればこのルートもまた自然であり、そうした出雲王国の存在が記紀の国譲り神話の背景になっていると理解されている。
 岡本雅享著『越境する出雲学』はその上で、『出雲国風土記』の記述をもとに、現代に残る地名、とくに神社の所在と由緒・伝承を手がかりにして、ヤマトに先立つ出雲人の全国展開を、どこに、どんなルートで進んでいったのかを解き明かしたものである。
 関東に前方後方墳が多数あり、これが出雲系だとの説は聞いていた。だが、「こんなところに出雲から人が来られるものか」といぶかっていた私などは、出雲から北越へ、さらに会津や信濃から関東へと連なる出雲ルートの痕跡を示されて、あらためて日本史および日本地図を考え直す必要を感じたものである。
 著者に失礼ながら(!)本書を読み始めて最初に思い起こしたのは、実は源義経の北方伝説である。義経が訪れたという伝承地をたどっていくと、終焉の地・平泉から、北東北のいわくありげな場所を経て北海道(蝦夷地)を貫き、中国大陸に抜けていく。これが義経=チンギス・ハン説につながっていくのだが、ん? するとこれも偽説か? いやいやここでは近年の考古学の成果が活用され、またミホススミとタケミナカタの関係の項でも見られるように、神話分析による適切な事実の腑分けもなされている。着実な研究の到達点である。
 この点で考古学の成果として興味深いのが、弥生時代後半に出雲に出現する四隅突出型墳丘墓の分布であろう。本書で何度か言及される福井県福井市清水の小羽山30号墓。私も以前、出張のついでに見学したのを思い出したが、例えばこれが海の道を伝っての出雲と北陸の直接交流の重要な証拠だという。四隅・台状墓・前方後方墳と≪四角い墓制≫はしかし、古墳時代で終了する。逆にいえばこれらがなければ、移動の痕跡はあっても新しいのか古いのか分からず、その実在を見逃すことにもなったろう。だとすれば、こういうふうにも言えるか。こうした墓の存在で弥生時代の出雲人の移動が証明されるが、その背後で他にもっと各地で人々は、列島を自由に往来していたのではないか。
 『地域学入門』(ちくま新書)や『地域学をはじめよう』(岩波ジユニア新書)のなかで私は、地域は国家の中の小さな国(國)であり、国家があって地域があるのだと説いた。もっともそうした地域というのはやはり、統一的な国家があらわれて以降のものであって、それ以前は(そしてきっと以後も!)、人は列島を自由に行き来し、混ざり合ってきたのだろう。いや国家以前の人間の方がもっと列島を広く見通し、大きな地図の中に自分を位置づけ、自由に生きていたのではないか。
 さて私は津軽学に取り組む者だが、そこでどうしても気になるのが、津軽平野にある北限の弥生水田である(砂沢遺跡、垂柳遺跡など)。研究者によると、これらは東北を順に北上して来たのではなく、ある時突然ここに現れたものらしい。思うにここに田んぼが欲しいというのは、日本海経由で南から北へのルートの中継地として以外に考えられない。だとすると、これも出雲人に関係するものか。出雲人の北方紀行はさらにその先につながっていきそうだ。出雲弁と東北弁が似ているのも、このことと関係しようか。
 そしてきっと、ヤマトにも越境する地域学が先行してあり、そうした地域学の接合の中で、この国の誕生の歴史は再構成されるべきなのだろう。地域学からの歴史学。その可能性と必要性を、本書の試みの中にはっきりと読み取る。そしてその推理と論証は、もっとふつうの庶民の間で進むべきだというのが、本書の著者のメッセージだと受け取った。それが地域学だと。私もたしかにそう思うのである。