千家尊福と出雲信仰

はじめに

 

Ⅰ 出雲国造の世界―近世までの大社信仰

第1章 出雲国造

古代王の末裔

生き神様

霊威を受け継ぐ火継神事

出雲大神の依代

神霊が宿るモノへの信仰

 

第2章 列島各地にある出雲国造ゆかりの神社

埼玉・東京の氷川・久伊豆・鷲宮神社群

延喜式神名帳にのる武蔵の出雲神社

四国・近畿・中部にもある式内出雲神社

野見宿禰と土師・菅原氏ゆかりの社

出雲国造が斎く熊野大神

 

第3章 中近世の出雲信仰と大社の御師

天下無双の大廈・国中第一の霊神

福の神・だいこく様

神集いと縁結び

龍蛇さま

御師が説いた大社の神徳

出雲大社分院長の先祖たち―讃岐の西村右大夫と筑前の廣瀬右仲

御師が築いた幅広い人脈と信頼―豊前の田中数馬と周防の高浜左仲

 

第4章 幕末の出雲歌壇と教学

希代の歌人―和歌発祥の地に生まれて

多くの門人を輩出した俊信の私塾梅之舎

出雲歌壇を広めた祖父尊孫―和歌で教えを説く尊福

富永芳久「名所歌集」にみる幅広い御師の人脈

鋭い論説若き頃から―儒学も尊ぶ幅広い学識

 

Ⅱ 卓越した指導力をもつ生き神

第5章 明治宗教界の若き泰斗

王政復古と神祇官の復活

明治二年京・伊勢への旅

神宮改革と大社

神道界のトップ―大教正兼神道西部管長に就く

出雲大社教会の設立―各地の諸講を結集・発展

先駆的な文化活動―博覧会の開催と図書館の開設

立教宣言

 

第6章 祭神論争―伊勢派との対立

幽冥の大神―平田篤胤の神学を取り入れて

消えゆく神道宗教化路線

神宮・大社の同格を唱えて

祭られない大国主大神

本居・平田派の賛同で優位に立つ出雲派

神学論を政争に転じた伊勢派

勅裁による終結

切り離された神社と教導―在野の宗教家として立つ

 

第7章 大社信仰の確立へ巡教する生き神

大社教東京分祠の創設と遠方への長期巡教

越の道ゆきふり―新潟巡教

近世御師の伝統を受け継いで―和歌を吟じ筆を振るう

筑紫の道ゆきふり―福岡巡教

大社教を支えた多彩な人材―重層的布教で信徒拡大

コレラ予防で指導力発揮―岡山巡教

大社教に集った人たち―出雲街道沿いの美作、願開舟の土佐

 

Ⅲ 政治の世界へ

第8章 政への回帰埼玉・静岡県知事としての功績

伊藤博文の誘いで政界入り―貴族院で頭角を現す

埼玉県知事に就任―“難治の県”を任された人望

“徳義による治”を目指した尊福の埼玉県政

尊福と埼玉―歴史と信仰で結ばれた縁

静岡県知事へ転任―背後に中央政界の激変

五銭のおさとし―“東海珠算の開拓者”末木千代吉の思い出

尊福の静岡県政を支えた名士たち

二宮尊徳の教え―報徳運動との密接なつながり

 

第9章 政財界の重鎮へ東京府知事・司法相・東京鉄道社長として

十年にわたる東京府知事―水源確保百年の計

日露戦争前後―野見宿禰神社の創建と東京勧業博覧会の主宰

貴族院会派・木曜会の領袖―山県有朋派の牙城で立憲政友会と連携

西園寺公望内閣の司法相―尊福を強く推した原敬

山県官僚派の逆襲―〝兵糧攻め〟で崩壊する木曜会

東京鉄道の社長に就任―市営化への橋渡し役を果たす

 

Ⅳ 尊福が遺したもの―晩年の巡教と後継者たち

10章 生涯にわたる巡教

国造家と大社教を次代に託し、再び列島各地へ

各地に残る巡講の“筆跡”

福岡巡講の縁で建った大鳥居―大筆を背に負って書いた扁額

現役のままに―最後の巡講地高知へ

突然の帰幽―別れを惜しむ人の波

 

終 章 受け継ぐ人たち

人道主義の詩人・千家元麿と出雲歌壇の継承者・経麿、照子

福岡における近代図書館の礎を築いた大社教分院

四国の出雲さん―道後温泉を守る国造の揮毫とえんむすび祭

移民に寄り添ったハワイ分院――海外へ至った出雲信仰

 

あとがき

主な引用・参考文献

千家尊福関連年表