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藤原書店『機』No.301(2017年4月)『出雲を原郷とする人たち』増刷にあたって
“出雲”の縁を未来につなぐ

岡本雅享

 

「郷土史」を結んで見えたもの

 本書刊行後、新聞連載時に取材でお世話になった方々から、たくさんの手紙を頂いた。仏壇の前に置いて先祖に報告したという佐渡浜田屋の子孫、笹井敦子さん。地名・出雲壇の取材協力から出雲大社初参拝までを綴った「猪苗代と出雲ゆかりの人々」を同封された会津の小桧山六郎さん。忘れられかけた出雲との縁が結び直され、育まれている。近いのにお互い知らなかったという、新潟の小出雲と長野の小出雲の人々の交流会なども、催せたら楽しそうだ。

和歌山県牟婁郡串本町出雲の道路標識
紀伊半島南端の出雲崎を記す安政2年皇国総海岸図。

和歌山県牟婁郡串本町出雲の道路標識と紀伊半島南端の出雲崎を記す安政2年皇国総海岸図:当地の出雲地名の起原は、平安末期頃、出雲の大社の神官が当地に移り住み小社を建て出雲大神を祭り、この地を出雲と名づけたと伝わる。

 本書の根底には、専門の民族・移民研究を自らの出自に当てはめたアイデンティティの探求があり、その点では社会学的だが、表面上は歴史、民俗、神社関連の本に見え、考古学的要素も多分に盛り込んでいる。原武史氏(放送大学教授)が朝日新聞の書評で、柳田國男ら民俗学者も正面から論じようとはしなかった神道と民俗学の接点に当たる問題、初めてこの空白に大きな光を当てた書と、森田喜久男氏(淑徳大学教授)が書簡で、時間軸の変化に関心がある歴史研究者は、空間的広がりをあまり考察対象にしない、その盲点をついた書と評された。生粋の民俗学者や歴史学者には、しにくい仕事だったのだろう。オビに「異色の移住・文化史」とある所以だ。

 郷土研究を低く位置づけようとする人がいるが、郷土と郷土の歴史を、時には国境をも越えて結びつけてみると、これまで中央(国家)の視点で描かれてきた歴史とはずいぶん違った多様な歴史が浮かび上がる。出雲の創世神話「国引き」に大和は現れない一方、新羅が出てくる。その新羅から出雲、越、北関東へ至る人の移動や文化信仰伝播のルートを、孤立しがちな各地の郷土史をつなぎ合わせることで、視覚化した。その結果、能登と越後、越後と会津、北信・北関東とのつながりなど、関連地域の郷土を越えた人の移動、文化の交流史ともなった。

 

取材の旅が結んだ縁

さいたま市大宮区の氷川神社参道(二の鳥居前):文政11年の『新編武蔵国風土記稿』に「出雲国氷の川上に鎮座せる杵築大社をうつし祀りし故、氷川神社の神号を賜れり」とある。
さいたま市大宮区の氷川神社参道(二の鳥居前):文政11年の『新編武蔵国風土記稿』に「出雲国氷の川上に鎮座せる杵築大社をうつし祀りし故、氷川神社の神号を賜れり」とある。

 戦後、多くの人々が地域共同体から切り離されていく中、郷土の貴重な伝承も、人知れず途絶えてきた。私が取材に訪れたことで、南紀出雲の吉田八郎さんや、越後斐太神社の倉科信彦宮司が、江戸・明治生まれの先人から聞いた出雲との縁に関する伝承を(今まで誰も尋ねなかったそうで)初めて語られ、同席の家族や隣人と共有できたのは幸いだった。

 「列島各地を訪ね歩く長期間の取材は、たいへんだったでしょう」とよく言われるが、実は楽しかった。再訪時、次はうちへ泊まればいいと言われた越前町の岡田健彦さん。炎天下、アポなし、子連れで訪ねた私を玄関に招き入れ、冷たいカルピスを作って下さった三次市の大井和貴さん。見附市の板垣博義さんが、昼食を食べる間もなく取材に回る私にご馳走下さった出前のラーメンは、とてもおいしかった。そんな人々の気持ちに触れて、連載は常に前向きな気持ちで書けた。

 関東では氷川、久伊豆、鷲宮神社の存在から本書に興味をもつ人が多いようだ。東京都板橋区が「地域を基盤にした民俗学・歴史学・考古学」の発展を期して設けた櫻井徳太郎賞。2015年の第14回高校生の部優秀賞が、北関東に幅広く、数多く分布する氷川神社のルーツが出雲にあることに注目した吉田壮志君の論文だった。冒頭に「出雲には祖父宅がある」とあり、本書の元となる新聞連載を参考文献にしていた。関東に住む、その出雲を原郷とする少年に、お祝いと今後の激励を兼ねて本を贈ったところ、彼の父が私と同じ出雲高校卒で、しかも同期らしいという。連絡を取り合うと、出版社で編集者をしているとのこと。先日会って、一緒に本を作ろうという話になった。出雲の縁は絶妙だ。

 

藤原書店『機』No.301より(PDF)