著者は福岡県立大の准教授で、島根県出雲市で生まれた。出雲言葉はいわゆるズーズー弁で、東北地方の言葉とよく似ている。著者は少年時代、標準語を話せない親が恥ずかしかったと振り返る。われわれ東北人にとって身につまされる話だ。
アテルイら蝦夷(えみし)の反乱を平定した坂上田村麻呂、前九年・後三年の役に勝利した源義家、平泉文化を滅ぼした源頼朝、そして、戊辰戦争の勝者である薩長勢力こそが正義である―。明治以降の教育は、そう教えてきた。東北人は、反逆者の子孫であるという劣等意識を植え付けられた。
天孫民族に屈服した出雲族が「まつろわぬ者」のレッテルを貼られたのと同じ図式だ。これでは、古里や、お国言葉への愛着が育つはずがない。大和民族の概念を作り出した明治日本は、対立的な民族である蝦夷や熊襲(くまそ)の存在も認めた。ところが、戦後日本は単一民族論に一転する。地域社会から切り離された人々は、出自に対する劣等意識を抱いたまま、企業社会の均質的な歯車となっていった。
著者は、日本にも民族の多様性が潜在することを認識し、健全な自己を取り戻すべきだと説く。その先導的な例として、1980年代に蝦夷の復権を主張した一力一夫河北新報社長(当時)の言行や、作家の高橋克彦氏(盛岡市在住)ら文化人の活動を詳しく紹介している。