ホーム > 千家尊福国造伝 > 記事一覧 > 福岡図書館を創設した出雲大社分院長 プロローグ1 山陰中央日報 2018年1月25日掲載

千家尊福国造伝 プロローグ1 (2018年1月25日掲載)
福岡図書館を創設した出雲大社分院長

岡本雅享

 福岡市立総合図書館の郷土・特別資料室の入り口に「書」文字を刻んだ軒丸瓦が展示されている。今年開館100周年を迎える福岡県立図書館の館長室にも、これと同じ軒丸瓦と鬼瓦、軒先瓦が飾られている。明治35年10月に出雲大社福岡分院の初代分院長、廣瀬玄鋹(はるなが)(1855―1916)が境内で開館し福岡図書館の瓦だ。同館を語る諸文献は「県立図書館に先行し、前身図書館の役割を担った」「福岡に図書館の灯を点じ、県立図書館の建設を導いた尊い礎」などと綴る。

福岡図書館本館に使われていた鬼瓦(左)と軒先丸瓦(右)。福岡県立図書館所蔵。筆者撮影。
福岡図書館本館に使われていた鬼瓦(左)と軒先丸瓦(右)。福岡県立図書館所蔵。筆者撮影。

 明治43年の『福岡県案内』は「県下各郡市に於て、既に図書館の設置せられたるもの五館あり、其図書は9万1122冊に達し、公衆閲覧の便に供ふ」として、私立の福岡、久留米、八女ほか2館を挙げるが、うち7万2442冊が福岡図書館の蔵書だった。福岡県内初の図書館は明治34年1月設立の久留米図書館だが、『福岡県教育百年史』は、前記三館中、福岡図書館の施設・設備・活動が最も充実し、図書館に対する認識が一般に乏しく、県内でも図書館の設置が遅々として進まなかった時代に、その出現は図書館の何たるかを示し、設置気運を促進する上で大きく貢献したと評している。大正7年春に竣工した県立図書館の蔵書数が大正14年で5万4千冊というから、頷ける話だ。蔵書も和漢洋書を揃え、丸善を通じて購入したエンサイクロペディア・ブリタニカやウェブスター大辞典も並ぶ全国的にも最高峰の水準だったとされる。

【写真2】出雲大社福岡分院境内に設立された福岡図書館と廣瀬玄(明治43年『福岡県案内』より)
出雲大社福岡分院境内に設立された福岡図書館と廣瀬玄(明治43年『福岡県案内』より)

 開館式で公表した「福岡図書館来歴書」には
一 本館は文学・法律……其他百般の学術技芸に関する普通有益の図書は勿論、内外の図書新聞雑誌等を網羅し広く公衆の閲覧に供す。
一 本館は年令15才以上のものは何人と雖も来りて閲覧することを得。
一 図書閲覧室には婦人席の設あり
などとあり、幅広い民衆の文化向上を目指した館主廣瀬の気概が伺える。

 備付けの図書目録は廣瀬が明治33年、1ヶ月滞在した東京で、帝国図書館の視察や資金・図書調達に奔走する傍ら、当時の代表的図書館学者、和田萬吉東大図書館長から直に学んだ最新式の分類法だった。

 木造二階建ての本館は1階が受付と古器物の展示場、2階が閲覧室で、横長の大机と椅子で40人が一度に閲覧できた。出雲大神が農業とも関係が深いため、明治40年に農業参考館を附設すべく二階建ての洋館を増築、書庫をその2階に移して図書館の拡充も図った。15年間で延べ3万人余が利用したが、1回3銭の閲覧料では経費の1割も賄えず、負債が嵩む。大正4年の県議会で設置が決まった県立図書館が大正7年春に竣工する中、大正5(1916)年末の玄鋹死去後、その使命を終えるかの如く大正6年に閉館。蔵書の大半は県立図書館の基幹図書になったという。残った蔵書のうち1万804冊は大正14年末の玄鋹十年祭にあわせ、九州大学に寄託され、廣瀬文庫となった。九大図書館は福岡県初の大学図書館として大正14(1925)年6月に竣工したが、本館の書庫は当初がら空きだった。その新しい書庫に大量に収蔵された最初の図書となる廣瀬文庫は、九大図書館の基盤となった。