ホーム > インタビュー記事 > 記事 > 西日本新聞(福岡) 2017年2月20日 野村大輔 ヒト、文化追って各地へ

西日本新聞(福岡) 2017年2月20日
近況往来 ヒト、文化追って各地へ 福岡県立大准教授 岡本雅享さん

野村大輔

 

福岡県飯塚市平塚の出雲交差点(国道200号):江戸時代後期の『筑前国続風土記拾遺』に、隣村・土師村の地名由来として「往昔出雲国より、土師部の人来りて、初めは隣村平塚村に居住し(今その所を出雲という)」とある
福岡県飯塚市平塚の出雲交差点(国道200号):江戸時代後期の『筑前国続風土記拾遺』に、隣村・土師村の地名由来として「往昔出雲国より、土師部の人来りて、初めは隣村平塚村に居住し(今その所を出雲という)」とある

 島根県出雲市出身の社会学者。古里、出雲の名は日本各地の土地や神社に刻まれている。筑前、越前、信濃、武蔵…。出雲の人々の足跡を訪ね、ルーツとのつながりを新著「出雲を原郷とする人たち」(藤原書店)で論考した。

 

 出雲は古代朝鮮の新羅と関係が深い。日本書紀によれば、出雲市の須佐神社が祭る須佐之男命(素戔鳴尊)は新羅に降り立ったという。新羅から出雲、そして北陸へ。「日本海沿いにヒト、文化の流れを追っていこう」。舟で流れ着いた出雲人が創建したと伝わる、福井県南越前町の十九社神社などを巡り、近畿や四国にも足を伸はした。

 

新羅から渡来したという出雲神イソタケルを祭る福岡県糸島市の潤神社:かつては白木(=新羅)神社と称した
新羅から渡来したという出雲神イソタケルを祭る福岡県糸島市の潤神社:かつては白木(=新羅)神社と称した

 大陸との窓口となった九州にも目を向けた。注目したのが福岡県糸島市の潤地頭給遺跡。出土した碧玉は弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけて出雲で産出されたもの。ほぼ同時期の準構造船の部材も見つかった。「出雲の玉作りが陸路ではなく、海の道で伝わったのだろう」と言う。

 

 約5年間にわたる取材を通じて、日本の「内なる多様性」を実感した。畿内を中心に放射線状に広がった大和文化に対し、「出雲文化は海流の道に沿った一定の方向へ、顕著に伸びている」。そこに出雲の魅力を見いだす。専門は多文化社会論。17年前から福岡県立大(田川市)で教える。

 

福岡県朝倉郡筑前町鎮座の式内社、大己貴神社:飯塚市平塚の出雲から白坂峠を越えた甘木にあり、周辺からは山陰系土器が出土する
福岡県朝倉郡筑前町鎮座の式内社、大己貴神社:飯塚市平塚の出雲から白坂峠を越えた甘木にあり、周辺からは山陰系土器が出土する