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越佐と出雲1 新潟日報 2016年2月12日掲載
出雲崎と佐渡国伝説

岡本雅享

 私は島根県出雲市古志(こし)町で生まれた。733年の『出雲国風土記』が「古志の国人ら到来(きた)りて堤をつくり、宿居(やど)りし所なり」と地名由来を記す旧神門(かんど)郡古志郷だ。ならば列島各地にある出雲地名も、出雲から来た人が住み着いた所ではないか。そう思って各地の出雲を訪ねる旅に出て8年余りになる。

【写真1】出雲崎の総鎮守、石井神社の境内から見渡す佐渡島。
出雲崎の総鎮守、石井神社の境内から見渡す佐渡島

 越前から越佐にわたる越国(こしのくに)では、沿岸部に主要な出雲地名が残る。石川県の金沢市出雲町とその周辺には出雲神社が5社集まり、羽咋(はくい)郡志賀(しか)町出雲は古代出雲国の住民が海を渡り、福野潟を越えて居を定めた地と伝わる。その集落に故地の名をつけ、出雲神社を創祀したという開祖谷崎家も健在だ。加賀や能登の沿岸部では弥生時代後期から古墳時代初め頃の山陰系土器もよく出土する。

 そんな越の中で、出雲地名が最も多いのが新潟県だ。その筆頭に挙がるのは出雲崎だろう。出雲崎を地名辞典でひくと「出雲の大国主命の来臨と出雲との交流にちなむ」とか、「出雲臣の一族が往来した海辺の崎の地をいう」など諸説あるが、いずれも出雲との縁が指摘される。古くから佐渡へ向かう拠点港だった出雲崎。その出雲崎の総鎮守が出雲大神(大国主神)を祭る石井神社だ。

 明治2年の石井神社記は、越佐海峡に跨る神話をこう綴る。頚城(くびき)郡の居多(こた)(神社)から当地へ来た出雲大神が、宮居に近い石井(いわい)の水を汲んで大地に灌ぐと、一夜にして十二株の大樹が育った。その巨材で造った船で出帆する朝の様子が「紫雲(雲や霞)あいたなびき、大小の魚鼈(ぎょべつ)(魚や海亀)悉(ことごと)く浮かびて御船を佐(たす)け護りて渡し奉りしを以て佐渡(たすけわたす)国と云ふ」と語られる。

 佐渡から戻った大神を、十二株のそばに宮を造り、越佐海峡往来の海上守護神として祭った。そこが石井の鼻、略して井鼻(いのはな)の十二山で、雲立ちのぼる出雲の里、雲の浦と呼ばれたのが今の出雲崎だという。「遠い昔に出雲の神が慕いきませし雲の浦」という出雲崎小唄は、そんな神代の記憶を受け継いだものだろうか。

 井鼻の郷土史家・阿部五郎さんが随筆「十二谷の幻想」で「原始林を思わせるひっそりとした林の奥に石の祠がある」と紹介する「神屋敷」が十二株の神話の地、石井神社の旧跡だ。現在の石井神社境内から3㎞ほど離れた井鼻と久田(くった)の境、地元で今は十二株山(じゅうにとさん)と呼ばれるこんもりとした山に少し入った所にある。

【写真2】2012年9月、十二株山の神屋敷を数十年ぶりに多くの人々が訪れた。出雲崎総合大学の受講後見学で。
出雲大神を祀る石井神社発祥の地・十二株山(出雲崎町井鼻)

 出雲崎文化財調査審議会委員の磯部友記雄さん(71)は、かつて石井神社大祭では、今は井鼻の相場川までで折り返す神幸の神輿が十二株山まで行っていたという。井鼻在住の小林貞雄さん(85)は、春秋に久田(くった)集落側の郷谷(こうや)の人たちが神屋敷のお祭りをし、戦後も傷んだ祠を修繕したりしていたのを覚えている。

 「十二谷の幻想」は「出雲崎の春が一番はやく訪れる場所がこの辺りで……出雲の岬の名もここから付いたと言われ、この浜に漂流してきた船は、何れも安全無事に着岸した」と記す。宮は遷ったが、出雲大神の御霊はここにも留まっている―そう感じさせる十二株山の神屋敷は、出雲崎の原郷といえよう。