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週間読書人3016号 2013年11月22日
書評 沖縄大学地域研究所編『琉球諸語の復興』

岡本雅享
 
 
2011年10月29日、沖縄大学で行われた「琉球諸語の復興を目指して—スペイン、アメリカの少数言語復興から学ぶ」
2011年10月29日、沖縄大学で行われた「琉球諸語の復興を目指して—スペイン、アメリカの少数言語復興から学ぶ」

  数年前、関西のある大学で多文化社会をテーマに講義した時、宮古語(みゃーくふつ)で歌うミュージシャン下地勇の「アタラカの星」を、何も説明せず字幕付映像で流し、どこの言葉だと思うか尋ねたら、アジアのどこかの言語だろうが、中国語や朝鮮語ではないなどと首を傾げ、誰一人、日本領域内の言葉だと気づかなかった。沖縄本島の言葉なら、聞きかじりの単語もあって、筆者の謎かけに勘付いた人もいただろうが、宮古語は沖縄語(うちなーぐち)とも会話ができないほどに違う。

本書はこれまで沖縄語と同義で誤用されがちだった琉球語を「琉球諸語」と呼びかえ、奄美、国頭、宮古、八重山、与那国語を、日本(標準)語とも沖縄語とも同格の言語と位置づけ、その復興を呼びかける。「復興」を掲げたのは、2009年にUNESCOが沖縄語をも含む琉球6言語を危機言語と判定したことによる。その衝撃が本書の背景にある。琉球諸語をそこまで追い詰めた国家と、それに加担(或いは促)した言語学者の責任は重い。

2006年春、初めて訪れた那覇で、コンビニの中で女子高生が友達同士「きれいな標準語」で話しているのをみて驚いた。那覇の友人に言うと、沖縄の高校生たちが「本土」の高校へ行くと、「本土」の高校生達が授業中以外「方言」で話すのを聞いて、逆に驚くのだと教えられた。この時、沖縄本島本部町で、たまたま一緒になった浦添の同世(30)代の女性から、「ちゅらさん」が放映されるようになってから、沖縄の女の子たちは「~さー」という言葉も使わなくなったという話も聞いた(沖縄出身と分るから)。同質化の圧力は、周縁に行くほど、より異質になるほど強まるものだと、改めて痛感した。

「琉球諸語の復興を目指して」シンポジウムの様子(比嘉光龍さん提供)
「琉球諸語の復興を目指して」シンポジウムの様子(比嘉光龍さん提供)

 出雲人(1967年生れ)の筆者は、1906年生れの祖母の話す言葉が、生れた時から一緒に住みながら、3割ぐらい分からなかった。その祖母が(よそから来る医師が多い)医大病院で診察を受ける時は、医師に頼まれ母が通訳として同伴した。筆者が生まれて初めて全く聞き取れない言葉を話す人に出会ったのも、実は(外国人ではなく)同じ出雲人(の拝み師さん)だった。それは、この列島における言語の画一化が20世紀の後半、急激に進んだことを意味する。琉球弧ではそれが、さらに短い期間で進行しているのだ。

言語の復興は技術的には可能だ。本書第1部「琉球諸語概説」は、そのための基盤ともなろう。問題は、第3部「琉球諸語の復興」で比嘉(ふぃじゃ)バイロンが「誇りじゃないか」と語る、人々の意識だ。本書でひときわ輝くのは、その比嘉の「692年続いた琉球王国の言葉が、方言なわけない」「琉球諸語とは何か、うちなーぐちとは何かを、きちんと世の中に示したい」といった言葉だ。言葉は魂の伝達手段でもある。出雲人の漢東種一郎は1961年、出雲言葉が家庭や社会から年々失われていくのは、その言葉が内在させる出雲人の生活・社会習慣や人情・思想が共に亡んでいくことだと嘆いた。「こんにちは」と「こんばんは」の間の、夕暮れの微妙な時間帯に「ばんじまして」と挨拶する出雲人の風情や人情が、言葉と共に消えてしまうということだ。

琉球の島々の唄者たち(2012年2月18日、沖縄大学、比嘉光龍さん提供)
琉球の島々の唄者たち(2012年2月18日、沖縄大学、比嘉光龍さん提供)

 1900年前後の日本で人工的に創られた国語(標準語)は、そんなにいい言語ではない。出雲人の後藤藏四郎は1916年、標準語は「精密な思想を表そうとすれば語に不足を感ずる」と述べている。標準語には「たわぎ(脛の裏側)」や「ぼんたく(後頭部の下部の引っ込んだ所)」などの出雲言葉に対応する語彙もない。

 漢(中国)語や朝鮮(韓国)語、英語ができる人が、映画やドラマを日本語吹き替えで見たがらないのは、(見所の言葉のやりとりに)原語でしか伝わらない感情やニュアンスがあるからだ。人を魅了する歌詞も、訳すと興醒めになることが多い。沖縄民謡の唄い手でもある比嘉が「日本語は交ぜない、琉球諸語のみで作詞される唄が生まれることを願いたい」(第2部「琉球の島々の唄と言葉」)という所以だ。

 民族を民族たらしめるものは民族意識であって、国家や、まして学者が決めるものではない。言語か方言かの線引きも同じだ。本書は比嘉らの情熱で生まれたという。その情熱を応援したい。なお本書にはDVD「琉球の島々の唄者たち」が付いている。これは楽しい。本書に登場する人々の生の言葉と唄が聞ける。やはり言葉には、言霊があるのだ。

 

掲載紙面

週刊読書人20131122