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民族の創出 はじめに
出雲、エミシ、クマソからみたネイションビルディング

 「民族」という漢字語は、1880年代末の日本で創られ、東アジアに広がったもので、それ以前、東アジアに「民族」という概念は存在しなかった。日本では近代国家形成を目指す過程で、記紀神話に民族のルーツを求め、大和(天孫)民族という概念が創り出されたが、記紀の時代に遡った民族設定は、同時に、倭(ヤマト)に「まつろわぬ」人々とされた出雲民族、蝦夷(エミシ)、熊襲(クマソ)・隼人(ハヤト)という民族概念も生み出した。そこには封建(武家)社会を遥かに遡る古代の政治体制―「神武創業の始め」に原づく王政復古と祭政一致を掲げて(民衆が封建勢力を打ち破って樹立した西欧型)近代国家の仲間入りを目指すという矛盾を含んだ、この国の成り立ち・構成員のアイデンティティにかかわる問題がある。

久米邦武『日本古代史』の折込み地図
1907年発行の久米邦武『日本古代史』の折込み地図(部分)。本州の北から蝦夷、高志(越)、日本(大和)、出雲、筑紫、襲(曾・贈於)、吾田(阿多)が記されている。

 戦前の「日本民族」は、前述の民族等に琉球、アイヌ、漢、朝鮮民族等をも加えた諸民族からなる混合民族と概念付けられ、混合(複合)民族故に多民族の帝国、五族協和の満洲国や大東亜共栄圏を築くに相応しいという民族観が広まっていた。それが戦後、日本は太古から外部との接触がない閉鎖的な島国の単一民族社会だから均質でまとまりがよいという「日本人」論に一転する(その経緯はすでに小熊英二『単一民族神話の起源』が明らかにしている)。この同質社会論は、日本の中央集権体制(地方の切り捨て)や画一化政策を正当化し、高度経済成長期に「規格大量生産型社会」を実現する均質的労働力を産み出す企業社会のニーズに適合するものだったが、日本社会に内在する多様な個性を否定し、異質なものを排除する性向を列島社会に蔓延させるという、大きな禍根を齎した。

 筆者は前作『日本の民族差別』執筆中、閣僚や政治家らの単一民族発言を調べていて、それを行う側も批判する側も、ほとんどが単一だという民族が何民族なのか語っていないという奇妙な現象に気づいた。大学で学生たちに民族的出自を尋ねても、多くは、自分がどの民族に属するかなど、考えたことも意識したこともなかったという。自分が何民族か言えない人々が、なぜ日本は単一民族だといえるのか。日本人の多くは、実は実態のない同質社会幻想に浸っているのではないか。日本では1990年代以降、多文化共生社会という言葉が広がったが、その対象は往々にして「外国人」であり、日本国籍者自体が多様な民族(nation or ethnic group)の集合体であることを認識できないでいる。だが、この列島はもともと、本州、九州、四国に限定しても、実に多様な社会だった。これが本書の主旨である。

 日本では高度経済成長に伴って、本質的に多様な人々が、企業社会に資するよう地域社会から切り離され、同質だと思わされ、各々のルーツに根ざしたアイデンティティの確立を妨げられてきた。そうした人々が、バブル崩壊後の日本的雇用の崩壊によって企業社会からもはじき出され、拠り所を失う。昨今この国で「日本大好き」「がんばれ日本」「日本を取り戻す」など「日本」や「日本人」が連呼されるのは、「失われた20年」の中で、自分が何者か見出せなくなった人々の、アイデンティティ・クライシスの表象のように筆者の眼には映る。民族国家の形成期に琉球、アイヌモシリ、台湾、大韓帝国を次々と組み入れて領土を拡大したため、戦前の日本では「日本民族」概念もそれに応じて拡大の一途を辿ったが、敗戦で大日本帝国が崩壊し、帝国人口の三割を占める朝鮮人、台湾人が外れたところで、日本における民族概念の形成作業は頓挫し、止まったままになっている。私たちはその現実を直視し、自分たちは何者かという、幻想に惑わされない、実態に即したアイデンティティ、多様性と共生が鍵となる21世紀の国家に相応しい自画像を形成する作業に、取り組まねばならない。

出雲民族社発行の月刊誌『出雲民族』(1921年創刊)
出雲民族社発行の月刊誌『出雲民族』(1921年創刊)

 そのための足がかりとして、本書では「大和」中心に創り上げられた日本のネイションビルディング(民族意識や国民の形成)を、大和に「まつろわぬ者」とされた出雲、エミシ(東北)、クマソ(ハヤト、南九州)等の視点から見直し、同質社会論で覆い隠された「日本人」内部の多様性を解き明かしたい。ネイションビルディングの研究は西欧を中心に行われてきたが、同質社会幻想を世界にまで広めた日本は、その実例研究の重要な対象といえよう。

 筆者は自らの出自である出雲の視点に重点を置いた。近代国家日本は、古事記(712年)と日本書紀(720年)を基に創り出した「記紀神話」を「国史」としてネイションビルディングを図った。だが完本として現存する日本最古の書物はもう一つある。古代出雲王の末裔とされる出雲国造が編纂した出雲国風土記(733年)だ。その神話を畿内(大和)政権が作った記紀(大和)神話と比べると、明治維新以降広められてきた「国の成り立ち」観が崩れるほどの違いがある。また海民とされる出雲の視点からは、「孤立した島国の農耕民」という同質社会論の矛盾もよく見えてくる。

 高度経済成長が「歴史」の域に入った現代日本において、20世紀型の中央集権国家体制が、社会構造としても、人々をつなぐ精神的紐帯としてもミスマッチなものであることに、多くの人々が気づいている。日本社会の同質化がピークに達した1980年代後半以降、地域語の復権運動が興り、エミシやクマソ(ハヤト)その他様々な人の間でも、固有の歴史や文化の掘り起こしが行われてきたのは、人々が同質化の中で失ったものの大切さに気づき始めたからに他なるまい。本書が、多様な郷土の歴史や文化に根ざした、多元社会観に基づくネイション再構築の一助となれば、幸いである。